「戦略とは一貫性である」エストニア視察報告3回目。宅和 博彦( たくわ ひろひこ)さん

 エストニアの歴史をもう少し詳しくご紹介してみようと思います。
 複数民族の合流・混血を経て10世紀ごろには現在のエストニア民族国家が形成されましたが、13世紀ごろよりデンマーク、ドイツ騎士団による進出を受け、その後もスェーデン、ロシア帝国と、大国の支配下に置かれつづけました。
 ロシア帝国の崩壊を受け、1918年2月24日に念願の独立を宣言することができました。しかし安定は長くは続かず、その後の二つの大戦中はソ連・ナチスドイツの間に翻弄され、第二次世界大戦末期にソ連に再占領、やがて併合されてしまいました。

 この流れは歴史的には「独立の喪失」と呼ばれていて、エストニアの人々は最初に独立宣言した日、1918年2月24日をいまでも国の独立記念日として大切にしています。

そのソ連崩壊後、これまで以上、ともいえる紆余曲折を経て1991年8月20日、エストニア最高会議がエストニアの独立回復を決議し、無血による独立回復することができました。(この日が「独立回復記念日」と呼ばれています)
 参考:「バルト三国史」(著:鈴木徹 東海大学出版会
    「エストニアの独立回復」(Wikipediaにリンクしています)

 そして悲願の再独立を果たした時、国には何の資産もまとまった産業もインフラすらもない状態の比較的早い段階から、「我々はどうあるべきか」「国家戦略の中心に何を据えるか」について考え意思疎通を図りそして実行できたことが今日の成功の礎となっているのだということを、若いエストニアの方ご自身が目をキラキラさせながら語ってくださったのが印象的でした。

番組の基本情報やラジオをリアルタイムで聞く方法などは「未来への種まき」番組情報をご覧ください。

放送は、「中山靴店」さま、「東豊精機(株」さまによりお送りいたしました。ありがとうございました。これからも良い番組作りに取り組んでまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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