
「最初の5年は超低空飛行だった」沢根スプリング 沢根孝佳(さわね たかよし)さん
ラジオ書き起こし版の第4弾は、2022年の年末に放送された沢根スプリング株式会社の沢根 孝佳(さわね たかよし)さんご出演の回(3回分)をお送りします。過去の書き起こし版は第1弾の1(前半)、第2弾の1(前半)、第3弾の1(前半)をご覧ください。
今回は放送第1回目の後半部分をお送りします。

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壹岐:沢根さんもお子さんの頃は、お父さんはもうバネ屋さんだったんですか?
沢根:私が物心ついたときはもうバネ屋でした。
壹岐:じゃあまぁまぁ若い頃に転業されたんですね。
沢根:で親父が36歳の時に、実は自分で創業したんです。
壹岐:あ、ご本家みたいのがあったんだ。そこから別れて、ゼロで立ち上げられた。別れた時のあれは何だったんですかね。
沢根:それはね、説明すると長くなるんだけど要は、やっぱり意見の対立ですね。合わなかった。
壹岐:え、それは誰とやってたんですか。
沢根:親父の義理のお兄さんとやってたんです。意見が合わなくなって。
壹岐:それは別に経営理念的なものじゃなくて、気性が、相性が合わなくなって俺もう出ていくわってことで・・。
沢根:それでゼロからのスタートで。もう一切お客さん持たないで、自分でやる。
壹岐:じゃあやっぱりお父さんは苦労されて・・。
沢根:大変だと思いますよ。
壹岐:それはどうなんですか?沢根少年だった頃は・・。
沢根:やぁもう凄い見てました後ろ姿。親父の車の日産のダッドサンの、トラックによく乗っけてもらって、お客さんの配達で、幼稚園とか小さい頃、よく東京まで配達行ったり、もう1日がかりですよ。
壹岐:だからお父さんは朝から晩まで油まみれになって汗水垂らしてバネを・・・新規事業ですよね。注文を取るわ作るわ・・。たぶん家と続いたような工場があって・・。そういう少年時代でしたか。
沢根:親父の営業に一緒にお客さんとこいって、だまってろと。
壹岐:高校生ぐらいの頃ってのは家業を継ごうと思ってたんですか?
沢根:何となくね、親父からお前やれよとは言われないんですけど、私兄弟3人なんですけど、長男なんですよね。まぁなんとなく自分がやるもんだなというのはありました。ただ生活はすごく苦しかったですよ。
壹岐:だから本当にドラマに出てくるようなあれですよね。町工場というかね。
沢根:親父とお袋が夫婦喧嘩してるのもよく聞きました。
壹岐:沢根さん僕より二つ三つ先輩なんですけど、だいたい昭和20年30年ぐらいのあれなので私もわかるんですけど、そんなに豊かには・・・まぁ世の中はね、どんどん豊かにはなってったけど、まぁまぁそんなに、お金持ちはお金持ちだけどそうでないところはそうでもないっていうような時代ですからね。特にその町工場とかはそうだったかもしれない。
沢根:冒頭お話あった某電気メーカーさんに、私東京に勤めていた時に、やっぱり仕事上スーツ着るじゃないですか。スーツ着るお金が私も無くて、家に帰ってスーツ買ってスーツ買ってって親に言うんですけど、そんなお金がないからもうちょっと我慢せよとよく言われたもんですね。
壹岐:東京に独身で入られたのは、それは大学出てから新卒で・・学部的には何ですか?
沢根:僕はね、それこそ裕福でなかったんで、1番学費が安い学校を実は自分で選んだんです。で自分で調べたら、東京に、もうなくなっちゃったんですが都立の工業短期大学ってあって、なんと月謝2000円なんですよ。年間24000円で、ここが1番安いなと。で、工業で、うちも工業だからちょうどいいだろうと。
壹岐:じゃあ本当に職業訓練校みたいなところですよね。
沢根:でそこへ通って、卒業してからそこの電気メーカーに入ったと。
壹岐:それは機械をやろうと思って入ったんですか?
沢根:学部はいわゆる生産管理みたいなところ。そっちの方です。
壹岐:そこでやられてたのが、何のタイミングでご実家を継ぐっていう・・
沢根:実はですね、入る時にもう何年で辞めようっていう計画を自分でもってまして、面接でもちゃんと聞かれました。家業をやってるんだけどお宅はご長男で家業は継がないのか、と言われたんですけど、そこは上手く言って。
壹岐:ものの本によると、アメリカにいらっしゃったと。
沢根:これは親父の命令です。
壹岐:入社したらもう忙しくなるから、その前に・・どのくらい行ってらっしゃったんですか?
沢根:2年行く予定だったんですけど・・。
壹岐:どこに行ったんですか?
住んでたところはロサンゼルスの郊外のサンタモニカ。
壹岐:あぁ、かっこいい!かっこいいね。
沢根:今すごい観光地になってますけども。サンタモニカに行って、当時英語ができなかったんで、英語の語学学校に半日行って、それから自分で、これはもう親父のこうやって行ってこいっていうので下手な英語で手紙を書いて、全米のバネ屋さん、リストもらってそこへ手紙書いて出せと。回ってこいってわけですよ。いろいろと。で随分回りました。
壹岐:それだけで何か小説になりそうな・・。大変だったでしょう。
沢根:大変ですよ。
壹岐:だって住むとこだってねえ。だって知り合いが居て面倒みてくれたとかじゃないでしょう。
沢根:どうやってアパートを借りるかとか、車も中古車も借りて、全部自分でやって。まぁ世の中なんとかなるもんだなと。そういう経験をさせていただいて、アメリカのいろいろなバネ屋さんで、まぁイエスノーはっきりしてますから、同業者はダメだって言われたらあぁ分かりました結構です。
壹岐:それは見学に行きたいっていうオファーをされたんですか?
沢根:いや、もうストレートに書きました。私は家業が日本でこういう会社で、このぐらいの規模で、こういうバネを作っている会社の将来二代目になる。勉強させてもらいたいと。ぜひ視察をさせてくれっていう手紙を書いた。アメリカ人いいよ、おいでといって見せてくれたり、家に来てご飯でも食べなさいよっていう会社もあったりして、まぁ実はそういう中に、通信販売を見つけたんですね。
壹岐:それはもう全米ですか?
沢根:はい、全米です。いろんなニューヨークとかボストンだとか、いろんな会社、ロサンゼルスのバネ屋さんとか。まぁそういうことやって、やっぱりそういう経験が・・。
壹岐:肝試しみたいな話ですよね。
沢根:そうですね。困らなきゃダメだっていう。
壹岐:売り込みに行くわけじゃないから、そういうあれはないけど、勉強するつったって、英語がわかんないと何言ってるかわかんないですよね。大丈夫だったんですか?
沢根:分からないですし、バネの知識もなかったんで、あぁこういうもんかって。でも見るだけでいいんですよ。別に親父は何とも言わなかった。こういうことやってたって多分レポート書いたって・・。
壹岐:その通販をやってたって会社はどこにあったんですか?
沢根:通販はボストンにあった会社です。小口をメールオーダーでやってる仕組みを見たんですね。日本で言うと郊外で、八百屋さん。軒先にバネをいっぱい並べて、買いにくる。アメリカなんかは草刈機とかね、ドゥーイットユアセルフじゃないけども壊れたら直すという、こういう文化があって、少量のニーズってある。それをね、一本ずつ売ってると。これをね、見てきたんです。あ、こういう市場、マーケットがあるんだなって僕思いついたんです。
壹岐:アメリカで少量のバネを売ってる会社があったんですか?作って売ってた?
沢根:よそのバネ屋さんから、不良品じゃないけども形状はちょっと長かったり短かったり規格からズレているものをいっぱい並べて、どうぞご自由に買ってってくださいって。
壹岐:あのね、僕前中国にそういう会社の通販系で部品作って売ってる会社の人にいったら、いい加減なオーダーがいっぱいくると。モノを送ったのに金を取りっぱぐれたとかね。訳のわからない注文がいっぱい来てやっても全然商売にならなかったんだけども、アリババができて、そのアリババって元々通販の会社なんだけどアリババってすごいのは、金を払ってくれたら、向こうのモノを向こうに届けてあげると。向こうも品質が確認できたら、アリババが品質確認しましたら個数も確認できましたっていったら、そのお金をデリバリーしてあげるっていうそういう機能を作ったっていう。だから僕はね、アリババが広がった最大の・・単なる通販のプラットフォームの会社じゃなくて決済機能を備えているんですね。アリペイっていう。要するにアリババが真ん中に存在することで、通販、まぁそれは当時の中国はたぶんグジャグジャだったはずなんですよ。いい加減な注文をして金も払わない人もいただろうし、モノがいい加減なモノしか納品されなかったり、それをアリババが仲介した。アメリカはそんなトラブルはあまりなかったんですか?
沢根:それはあんまり聞いたことないと思うんですけども。そういうのを見て参考にして、親父に話しておぉ、やってみまいかっていう浜松町のやらまいか精神じゃないけどやってみようかと言って、今は約5000種類ぐらいの商品にプラス、特注バネをすぐに出すっていうこういうビジネスモデルでやってますけども、当時はまず最初に570種類だけを小さなA4の2枚ぐらいのカタログにして、作ろうと思ったんですが・・。
壹岐:それは最初のスタートはお父さんもウェルカムで。お前いいの気づいてきたなと?
沢根:私と親父は、オッケー。ところが周りは全く動かない。なぜこんなことやるの?と。社員がネガティブだった。
壹岐:それは面倒くさいですよね。それはそうですよね。大口を捌いていればいいだけのところ・・・。
沢根:はい。社員の方は毎日大口の注文が来ているのに、売れるか売れないか分からないバネを570種類ぐらいストックして準備して、受注を待ってるわけですよ。まず在庫が揃わなかった。正直なところ。
壹岐:だからこれはビジネスモデル的に言うとね、見込み型の商売に変わったわけですよ。受注型の商売から。これね、受注型と見込み型の二つしか仕事ってないんだけど、受注型は特に下請け的な仕事の場合には安定はしてるし言われた通りしてればいいから楽なんだけど、価格決定権がないんだよね。見込み型っていうのは、売れるかどうか分かんないんだけど、値段は自分で決めれるっていう。
司会:それは怖いですね。待っているわけですもんね。
壹岐:おんなじモノを作っていても、天と地とぐらい商売形態が違いますよね。
沢根:今はもう37,8年になるんですかね始めて。最初の5年間は超低空でしたね。周りからやっぱり売れないんじゃないかって盛んに言われました。
壹岐:多分ね、反対する人にしてみれば売れない方が・・ほら見ろって言いたくなる人情わかりますよね。
司会:さぁでは、商売をスタートしてからのお話は次回の放送でうかがってもよろしいでしょうか。まだまだこの30分では聞き切ることができませんでした。壹岐敬のイキイキラジオ「未来への種まき」。今日は、静岡県浜松市が本社の、沢根スプリング株式会社・会長の沢根孝佳さんでした。
沢根会長、ありがとうございました。
沢根:どうも、ありがとうございました。